夕暮れの空のその先に

商店街のアーケードの梁にツバメの巣があった。

5月末では、まだ雛が「我こそ!我こそ!」とごはんを求めてピーピー鳴いていたのに、今日は見たらそこには空の巣と、そこに寄り添うように居る親ツバメ。

 

目線の先には夕暮れの空が広がっていて、少し寂しそうに見えた。

ももしかしたら、子の行く先を見守っているのかもしれない。

そっと応援しているのかもしれない。

 

寂しさやよろこびの入り交じったなんとも言えない気持ちをもった、今日の出来事。

自分の色を探す時期に

周りの大人から圧をかけられて、臆することはしなくていい。

 

おしゃれは楽しむものだ。

自己表現のひとつだと思う。

 

思春期の私は

からだの変化が気になったり、

異性に対して意識はしちゃったり、

ファッション・おしゃれに興味を持ち始めたりした。

 

恥ずかしいことじゃない。

そういう時期なんです。

羽化する時期なんです。

だから恥ずかしがらないでいいよ、と言ってあげられたら良かったなと思う。

 

私はそんな時期に大人たちにいろいろ言われて、おしゃれをすることに随分臆病になってしまいました。

可愛い服、大人っぽい服を着て、化粧をしたら「変に色ずきおって」

丸みのある体になってきたら「ぶくぶく太ってみっともない」

脚を出せば「痴漢を誘発してる」

髪をのばしたら「うっとうしい。似合わない」

学校もそれなりに身なりに厳しく、膝丈のスカートで髪は肩についたら結い、化粧等はせず、「中高校生らしく」と言われたままで居たのです。

 

周りの声を気にしすぎて、好きなものを好きと言えないまま、関心のないフリをしてきました。

可愛く、美しく変化していく同世代なの憧れ、羨ましく思いながら制服を脱ぐ日まで素のままで生きてきました。

 

するとどうしたことでしょう。

社会に出てみると化粧をして小綺麗な格好をすることが「当然」で「常識」。

知識を得て挑戦することを阻止し、ぎゅうぎゅうと圧をかけてきた周りが「それ」をしないことに「マナー違反だ」なんだと言ってくる。「女のくせに」と。

必死に周りにあわせてみたら「量産型」と言われる始末。

 

だからもう、好きなようにしよう。

自分の「色」を見つけよう。

何度失敗して嘲笑されても、自由になりたい自分になろう。

 

「今さら」と思いながら、綺麗になることに挑戦している24歳の私より。

動けなくなってはじめて疲れていることに気付く

2週間休まずに復職支援に行き、昨日から10時半スタートになった。

新しい人も入って、雰囲気も少しずつ変わっていく。

朝晩の寒暖差に夢見の悪い日々。

そんな少しずつの変化や、自分の体力の低下(まだ大丈夫だろうという過信)

 

自分の体調管理の甘さから、外出先でめまいがしてうずくまって動けなくなった。

 

自己認識の甘さにうんざりし、これではまずいと反省しつつ、ふらふらとお店へ。

 

体の中から温まろうと思い、選んだのは大戸屋

麦味噌汁をすすり、少し休憩。

面接

この人は私に評価を下す人。

 

そう思うと身構えてしまい、上手く話せない。

用意してきた言葉も、にこやかに話すイメージも真っ白になって、口から出た言葉をただ発するだけの機械のよう。

 

聞かれた答えを簡潔に。とか相手に分かりやすく。とか

そうしたいのに、イメージのようにいかなかった。

恥ずかしくて悔しくて情けなかった。

 

自分を信じる力を得るための小さな成功体験。

成功なんてしたことあっただろうか。

 

復職支援に行こう。

相手の気持ちを考えて、いい距離感をとる練習をするのだ。

距離感

私に足りない感覚。

感じ取って適度にとれないもの。

 

私の生きづらさの原因のひとつでは?と指摘された。

 

なるほど。そうかもしれない。

私が近付きすぎたか、引きずり寄せてしまったのか、どちらでも一緒だけど、相手が快適な距離を取ろうとすると、そこに真っ白な箱のような空白な何かを感じていた。

それに対して寂しさを覚えていた。

自分がないようにぴったりくっついてみたり、もういいやと関係を終わらせてしまったりしていた。

だから「相手にとって心地よい」距離の取り方を覚えずに来てしまったんだ、と思う。

 

今まで付き合いを続けてくれた人たちに対して、申し訳なさや、恥ずかしさ、罪悪感、悔しさを感じた。

人としての未熟さに気付いた。だから、恥ずかしかった。

 

まずは、自分の軸を作って居場所を確保することだ。と指摘したその人は言った。

確固たる自分がないから、色んなとこに移動して、相手の望まぬところまで行ってしまうのだと。

 

じゃあまず、居場所作りから。

他のだれに知られなくても、私が居るよ、要るよって言ってあげられる場所作りからはじめてみようか。

 

ブランコで出会った女の子

5月にしては暑さを感じる日だった。

 

鳥に近づきたくて、一瞬の無重力を味わいたくて、最後に乗ったのは何時だったかなど思い出せないほど久々にブランコに乗った。

度々起こる事故を「起こさないように」遊具が撤去されていった数年間。

今ブランコがある公園はいくつくらいあるのだろうか。

 

ピンクチュニックにジーンズを履いたの4歳くらいの女の子。

おじいちゃんと遊びに来たのだろう。

ベンチに座りお茶を飲んで休憩としていたと思ったら、こちらを見てそろりそろりと近づいて、ぴょんと跳ねるようにブランコにのる。

足が地面につかないから、カチャカチャと金具がなるだけ。

 

トンっと背中を押すと体がふわりと浮かぶ。

驚いたようにこちらを向いた少女に「怖くない?」と聞くとぱっとした笑顔で「うん!」と言って前を向く。

お互い無言で背中を押して、押されて上に浮かぶ。

何回か繰り返したころにおじいちゃんが「相手してもらってすみません。代わります。」とこちらに来たのでバトンタッチ。

きゃっきゃとはしゃぐ少女の声。

やはり知らない人は緊張してたのだろう。

 

悔しいような、微笑ましいような気持ちを抱えて、ブランコから離れる。

 

あと何年、あんな風景が見られるのだろう。