14歳のねこ たま

あと2週間で14歳になる我が家のねこ

 

贅肉が揺らせるくらいだったお腹がぺったんこになるくらいに痩せて、骨張ってきて、寝ていることが多くなった。

夏バテもあるのかも知れないけど、小さくなった背中を見て歳をとったなと思う。

 

兄妹猫が亡くなって早半年。

 

こちらもそろそろお別れの覚悟をしないといけないのかと考えると寂しい。

 

どんな別れになるかは分からない。

でも少しでも後悔が少ないように、元気なうちにたくさん撫でて、傍に居て、笑って過ごしたい。

たまにも幸せな時間が少しでも長く続けば嬉しい。

 

初盆の前に死について思う。

逃げ癖がついてしまっているのを

どうやって直していけば良いのか模索中。

 

私の逃げ方は酷く、分かりやすく

自分が「嫌だな」と思った事・人から距離を取ってそのまま二度と関わらない。

自分の都合の悪いところは見ない・聞かない・認知しない。

そして時が過ぎるのを、ほとぼりが冷めるのをただずっと待ってる。

 

結果何も解決してなければ、根本も変わらない。

向き合わずに対策を取らないから、同じことが起きたときに繰り返す。

いつまでやるのか。

いつ気付くのか。

 

わかっている。

のに変えられない、変わらないのは変わった後どうなるか(環境や人間関係が私にどう影響するのか)分からないから。

不安で恐くて、そうするなら「多少不幸でも今と変わらないまま」の方が良いと思ってしまっているから。

 

いつまで経ってもそのまんま。

到来

夏が来たな、と思うこと

 

テイカカズラの花が香り

蒸せかえるような土のにおい

空の青さが濃くなり、雲の白さが際立つ

木々の緑が濃くあざやかに

そうめんが店頭に並び

氷菓が恋しくて

麦茶が美味しくて

グラスが汗をかき、氷のカランっと溶ける音

艶やかでパキッとした洋服、ネイルカラーが並ぶ

 

何かが変わりそうな、そんな予感がした時

 

私の中に、夏がくる。

子供を望まないことは悪いことですか

子供を望まない事に「なんで?」と聞いて、その考えが『悪いこと』のように責めないでほしい。

 

最近、友人の結婚や妊娠・出産のおめでたい報告を聞くことが増えた。

彼女たちは私より5つくらい歳上だけれど、自分もそれをしていい歳なんだなーと思うと歳の流れの早さと老いを感じる。

 

彼女たちの大きくなったお腹を撫でたり、赤ちゃんをだっこさせてもらったりすると、可愛いなーとか健やかに育てよーと思ったりする。

 

けれど、自分が妊娠したり出産したり、親になるという未来が想像できない。

そんな立派で大層なこと、恐ろしくて出来ないのだ。

 

結婚すれば~、そのうち~と周りは言うけれどそんな日が来るのだろうか。

というか、子供を望まないことは悪いことなんだろうか。

 

子を授かれる体であるかも知らず、

自分ひとりの面倒も見れてなくて、

経済的にも精神的にも自立出来てなくて、

精神疾患を患っていて、

発達障害の可能性も示唆されていて、

たいした貯金もなく、

明確な将来プランもなく、

自分が生きづらいと思っている世の中に「生まれたのだから精一杯生きなさい」などと言えず。

親になる覚悟も、生き続ける保証も出来ないなか、新たな命を、人ひとり育てる自信がない私が、

子供を望まないことは悪いことですか。

 

高齢出産のリスクや、育時期の自分の体力面目などを考えても若い方が自分自身もラクだろうな、というのはわかる。

 

でも、幸せにする自信がないんです。

 

リスクに囚われてちゃ何にも出来ない、というかもしれない。

どうせなら幸せになってほしいから、今は子供を望まない事を「おかしい」などと責めないでほしい。

 

産まれてくるのなら、愛されて、望まれて、来てほしい。

たったそれだけ。

 

吐き気もほてりも寝汗をかくのも

全部自律神経の乱れ

のようだ。

 

ずっとずっと体調不良で、1つ良くなっても連鎖のように別のどこかが痛み出したりする。

疲れてるんだな。

でも休み方が下手なんだよな。

 

なにか、心落ち着く何かを見つけたいなと思う。

 

 

夕暮れの空のその先に

商店街のアーケードの梁にツバメの巣があった。

5月末では、まだ雛が「我こそ!我こそ!」とごはんを求めてピーピー鳴いていたのに、今日は見たらそこには空の巣と、そこに寄り添うように居る親ツバメ。

 

目線の先には夕暮れの空が広がっていて、少し寂しそうに見えた。

ももしかしたら、子の行く先を見守っているのかもしれない。

そっと応援しているのかもしれない。

 

寂しさやよろこびの入り交じったなんとも言えない気持ちをもった、今日の出来事。

自分の色を探す時期に

周りの大人から圧をかけられて、臆することはしなくていい。

 

おしゃれは楽しむものだ。

自己表現のひとつだと思う。

 

思春期の私は

からだの変化が気になったり、

異性に対して意識はしちゃったり、

ファッション・おしゃれに興味を持ち始めたりした。

 

恥ずかしいことじゃない。

そういう時期なんです。

羽化する時期なんです。

だから恥ずかしがらないでいいよ、と言ってあげられたら良かったなと思う。

 

私はそんな時期に大人たちにいろいろ言われて、おしゃれをすることに随分臆病になってしまいました。

可愛い服、大人っぽい服を着て、化粧をしたら「変に色ずきおって」

丸みのある体になってきたら「ぶくぶく太ってみっともない」

脚を出せば「痴漢を誘発してる」

髪をのばしたら「うっとうしい。似合わない」

学校もそれなりに身なりに厳しく、膝丈のスカートで髪は肩についたら結い、化粧等はせず、「中高校生らしく」と言われたままで居たのです。

 

周りの声を気にしすぎて、好きなものを好きと言えないまま、関心のないフリをしてきました。

可愛く、美しく変化していく同世代なの憧れ、羨ましく思いながら制服を脱ぐ日まで素のままで生きてきました。

 

するとどうしたことでしょう。

社会に出てみると化粧をして小綺麗な格好をすることが「当然」で「常識」。

知識を得て挑戦することを阻止し、ぎゅうぎゅうと圧をかけてきた周りが「それ」をしないことに「マナー違反だ」なんだと言ってくる。「女のくせに」と。

必死に周りにあわせてみたら「量産型」と言われる始末。

 

だからもう、好きなようにしよう。

自分の「色」を見つけよう。

何度失敗して嘲笑されても、自由になりたい自分になろう。

 

「今さら」と思いながら、綺麗になることに挑戦している24歳の私より。