万引きは窃盗罪。いじめは恐喝、暴行罪。

犯罪行為をオブラートに何重にも包んで、思春期の反抗期だからとか若気の至りだとか言うのはやめませんか?

窃盗は若者だけではないですよね。

高齢の方も「ゲーム感覚」でやってしまう事があると聞きました。

 

盗んだものは、小さなものだったかもしれません。それが積み重なればどうでしょう。

 

「あいつなんかムカつく」「ちょっとからかってやろう」程度の思いだったのかもしれません。人から分けもわからず攻撃され続けられたらどう思いますか?

 

窃盗が多発してお店が潰れる。借金に追われる事態かもしれない。

暴行をうけて心身に傷がついて、社会に出られなくなる、死を選ぶかもしれない。

その代償を背負えるだけの心はありますか?

 

ないでしょう?

昔のことだ、と言って逃げるでしょう?

 

被害者は覚えています。忘れません。

 

耳当たりのいい、やさしい言葉で表現された犯罪行為。

その言葉を使うのも、黙認するのもやめませんか。

罪を犯したなら罰を受けるのが道理。

 

犯罪者を増やすのやめましょう?

それは犯罪だと教えましょうよ。

次の世代には言葉そのものがなくなってると良いな。と願います。

キャンドルを灯したい夜

今日はほんとに久しぶりに家族と時間を過ごした。

成人してこどもではないのだけれど、

「今日はこどもの日だから」と

一緒に公園に行ったり、買い物をしたり、食卓を囲んだりした。

懐かしい事が少し寂しく、またこれが両親の望んだ家族の姿なのだろうか、と考え今の自分との落差に気持ちが乱れた。

 

私はこどもじゃないのだ。

 

父からそう断言されたのだ。

 

今日過ごした時間が虚しくて寂しくて、

他人に埋めてもらいたくて過剰に連絡する。

 

いつになったら、私は私のことを満足させられるのか。

 

白檀の香のキャンドルを灯した「こどもの日」夜に「こどもではない」私からこぼれたものは。

私の失敗の原因は

現状に、疑問を持たないこと。

だから他人からしたら『普段と明らかに違う事』であったとしても、その理由に関心がなければ疑問などおきない。

そして独自の判断で物事を進めてしまう。

 

そしてそれを、何度も繰り返すのだ。

注意を受けて、その時はじめて自分が「似たようなことで怒られて」きたことに気付き、自分の学習能力の無さに落ち込み、自己批判をして苦しくなって泣いてしまう。

 

私も注意する人も、誰も得をしない。

この状況を打開したいと思っている。

しかし、疑問に思わなければ『確認』することが出来ない。

これでいいんだろうな。で終わってしまう。

 

気付くこと、疑問を持つこと。

それを踏まえて確認すること。

 

社会人、でなくても出来なきゃ困る事例なのに、未だ解決出来ていない。

 

Secret baseがMVP

今日はヒトカラに行ってきた。

5時間。

 

坂本真綾を歌い、

宇多田ヒカルを歌い、

JUJUを歌ったら、

まとめきれないアニソンの数々。

坂本真綾もアニソンに入るのかな?

 

とにかく声を出すのはストレス解消になるし、ヒトカラの良いところは他人に気を遣わず好きなときに好きな歌を歌えるところ。

素晴らしい。

 

曲を聞くとき私は歌詞と「私が歌えるかどうか」に重点を置くのだが、先日ギターとドラムに重点を置く方と出会い驚きを隠せなかった。

そんな曲の聞き方をしたことがなくて。

 

違う考えを持つ人と話すのは楽しい。

新しい発見がある。

 

書こうと思って書くとなんとも稚拙な文章になる。

でもこれも新しい発見かもしれない。

 

今回のヒトカラで「あの花」の映像が出た時ガチ泣きしたのはナイショ

愛されたがり

私は依存度の高い人間だ。

 

他の人が良いと言ってくれない私は『要らない』と本気で思ってた。

今もこの考えから抜けきれてない。

今も私を全肯定してくれる『ヒト』を探しているのかもしれない。

 

そんなの居ないこと、分かってるんだけどね。

 

愛されたがりの私は「愛されてない」事象に敏感だ。

愛されてない=人間関係の終わり、と思ってたから。

私が相手に嫌なことをして、その人が離れていかないようにその人に『都合のいい』人になろうとする。

 

すごく疲れる。

自分って何だろうなって虚無感に襲われたりもする。

 

少しずつ、変えていきたい。

はじめまして

こんにちは。

こんばんは。

はじめまして。

 

blogをはじめてみたけれど、名前の変え方も分からないようなITオンチ。

 

少し不思議で変で、社会からドロップアウトした私の気持ちを書いていこうと思います。

 

誰に話したらいいか困る話題とかね。

 

社会と繋がる井戸のような。扉のような。

落ちていくことも、引っ張りあげてもらうことも、ここに招くことも出来る、そんな場所。

 

さて、blogの名前、どこで変えるのかな?